治承3年(1179)に、斎藤別当実盛が武蔵国長井庄に大聖歓喜天を奉り、聖天宮を開きました。これが、妻沼聖天山の始まりといわれています。
実盛の没後しばらくして、建久3年(1192)に源頼朝が下野国に向かう途中、聖天宮に参詣した折、良応僧都(実盛の次男実長が出家)は、頼朝に聖天宮の修復と別当坊寺院建立のため、関東八カ国の勧進を願い出て許され、その後四年間諸国で喜捨を募りました。
建久8年(1197)には、聖天宮の改修と別当坊歓喜院長楽寺の建立がされました。この際、国平(実盛の外甥)は、良応の兄の二人の子とともに、歓喜院に十一面観音、聖天宮に御正躰錫杖頭を寄進して御本尊としました。
その後、戦乱や火災などでたびたび灰塵に帰しましたが、享保19年(1734)に歓喜院の海算院主は、聖天山信徒の総意のもと、聖天堂の再建を決意し、工匠林正清に設計を依頼し、延享元年(1744)に完成しました。
貴惣門は国指定重要文化財で、3つの屋根の破風よりなっているのが特色です。右側に毘沙門天、左側に持国天の像があります。仁王(金剛力士)像とは違い、邪鬼を踏んだ像となっています。
本殿は平成24年に国宝に指定されました。奥殿・中殿・拝殿よりなる権現造で、本殿側面には、左甚五郎作の「猿を救う鷲」をはじめ多数の美しい彫刻が施されています。
埼玉日光という別名もあり、本殿外壁の彫刻は平成15年から平成23年にかけての保存修理工事で彩色が鮮やかに甦り、豪壮華麗です。スケール的には日光東照宮に比べるとミニ版といったところですが、彫刻を近い距離からじっくりと見られrます。それぞれの作品に物語性があって大変興味深いものです。拝観は有料ですが、ガイドの説明もついていてお勧めです。
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貴惣門 |
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貴惣門の扁額 「皆興願満足」 |
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横から見た貴惣門 |
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境内内側から見た貴惣門 |
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本殿全景 |
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本殿の彫刻、右側は「猿を救う鷲」 |
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本殿の彫刻 |
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本殿の彫刻 |
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聖天山の鳥瞰図 |