不忍池側の正面には、歌川広重の代表作の一つで連作の「名所江戸百景」で描かれた「月の松」が約150年ぶりに復活しています。
観音堂に上って不忍池を望むと、樹木が生い茂って展望がききません。
わずかに「月の松」の間から弁天堂が垣間見えます。
清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永8年(1631)天海大僧正により建立されました。また、御本尊も清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎え秘仏としてお祀りしております。~上野寛永寺HPよりこの千手観音像は、もとは平家の家人主馬八郎左衛門盛久が護持していたもので、のちに京都清水寺義来院春海上人が天海僧正に献じたものだそうです。
『盛久』では次のことが謡われています。
文治2年(1186)年に鎌倉由比ヶ浜で盛久が斬られようとした時に、盛久が手にした経巻から発する光で太刀取りは目が眩み、思わず取り落とした太刀は二つに折れてしまいます。
この知らせを受けた頼朝は、盛久を呼び寄せてこれまでの経緯を尋ねると、処刑の日の明け方に仮寝をすると夢の中で観音のお告げを聞き、京都清水あたりから来た老僧が、盛久の日頃の厚い信仰心を讃えて「われ汝が命に代わるべし」と述べられたとのことでした。
頼朝は、自分の見た夢と全く同じであったので奇特と思い、盛久の命を助けました。
清水観音堂と「月の松」 |
不忍池の弁天堂を望む |