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2016年10月6日木曜日

鬼苦ケ島(6-145、山梨県笛吹市石和町下平井)

日蓮上人らの一行が鵜使いの霊に出会った川辺の辻堂は、石和の里、鬼苦ケ島(きくがしま)にあったとのことです。

この鬼苦ケ島は現在の下平井地区で、住宅や畑が散在しています。

同地区には山王権現や安楽寺があります。川辺に立って当時の風情を想像するのも一興かと思います。

ただし、「鵜飼」に関する史跡や解説板などがないのは寂しい限りです。

⇒ 所在地のMap

安楽寺本堂


安楽寺聖観音の解説板

安楽寺のお堂

山王権現

山王権現

山王権現略誌


2016年10月4日火曜日

岩落(6-144、山梨県笛吹市石和町小石和)

謡曲「鵜飼」のなかで、ワキ連の従僧が「この人を見て思い出だしたることの候 この二三ケ年前に この川下岩落と申すところを通り候ひしに かのうの鵜使ひに行き逢ひ候ふほどに」と語ります。

また、シテの鵜使いの霊は「そもそも石和川と申すは 上下三里が間は堅く殺生禁断の所なり 今仰せ候ふ岩落に鵜使ひは多し 夜な夜なこの所に忍び上って鵜を使ふ」と語り、再度「岩落」が登場します。

現在、岩落は河川改修のため川から離れてしまったとのことです。

笛吹川を挟んで御硯水祖師堂の対岸、万年橋の西詰、下流左岸の地点です。

川岸には葦が生い茂り、なかなかはっきりとした場所は確認できない状況です。

⇒ 所在地のMap

岩落付近

左奥の木々がある場所が岩落(万年橋から下流を望む)

2016年10月2日日曜日

御硯水祖師堂(6-146、山梨県笛吹市石和町四日市場)

御硯水祖師堂(おすすりみずそしどう)は、笛吹川に架かる万年橋の西詰の近くにあります。

日蓮上人は、石和の里 鬼苦ケ島(菊ケ嶋)の辻堂で休んでいると、鵜使の亡霊に接したので、日朗に河原の小石を集めさせ、日向にはこの井戸から水を汲ませて墨を磨らせて、自ら筆を執って、法華経一部八巻二十八品六万九千三百八十余文字を三日三夜にわたり一字一石の境石に写書して鵜飼川(笛吹川)岩落の水底に沈めて川施餓鬼供養を行って、亡霊を弔った。
そもそもこの井戸は日蓮上人が錫杖(しゃくじょう)によって掘られたものと伝えられているが、 明治四十年(1907)の大洪水で埋没、その後浚渫修補して今日に至る。~御硯水祖師堂解説板より
今も井戸から滾々と清らかな水が湧き出しています。

現在、御硯水祖師堂は県道310号の脇にあって、通行する車の交通量はかなり多く、往古の風情を懐かしむのはなかなか困難な状況にあります。

⇒ 所在地のMap

御硯水祖師堂の遠景

御硯水祖師堂

井戸

井戸

石碑

「御硯水」解説板


2016年9月30日金曜日

法城山観音寺(6-143、山梨県笛吹市石和町市部)

法城山観音寺は石和南小学校のグランドの南側にあります。

謡曲「鵜飼」のなかに、「そもそもこの石和川と申すは、上下三里が間は堅く殺生禁断のところなり」とあります。

この上下三里は、法城山観音寺の寺領によって定められた範囲だそうです。

この観音寺は、かつては甲斐国有数の寺院で、七堂伽藍を備え、最盛期には塔頭12、末寺98ケ寺を数えたそうです。

現在は寺の前の広い敷地が笛吹市役所の公用車専用の駐車場になっていて、こじんまりとした新築の本堂が立っています。

なかなか往時を偲ぶことは難しい状況です。

参道入り口
左奥が本堂

石和町による解説板

2016年9月28日水曜日

一字一石の塔(6-142、山梨県笛吹市石和町市部、鵜飼山遠妙寺)

一字一石の塔は、鵜飼山遠妙寺の境内にあります。
鵜飼山遠妙寺は、文永十一年(1274)夏の頃、日蓮大上人が弟子の日朗日向の両上人と共に当国御巡化のみぎり、鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し、これを済度し即ち法華経一部八巻6万9380余字を河原の小石に一字ずつ書写され、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養を営み、彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります。 ~由緒書より 
一字一石の塔は、手前に立つ白く真新しい「鵜供養塔」とは対照的に、黒ぽく落ち着いていてその功徳が感じられるようでした。

左奥に立つのが「一字一石の塔」

2016年9月26日月曜日

鵜飼山遠妙寺(6-140、山梨県笛吹市石和町市部)

鵜飼山遠妙寺(うかいざんえんみょうじ)は、石和温泉駅から南に直進して国道411号線の石和温泉駅入口の交差点を左折し、400メートルほど進んだ遠妙寺交差点の左手前にあります。駅からは徒歩15~20分です。

国道に面した山門は小ぶりながらも重厚感があります。その奥の仁王門を抜けると境内です。

本堂の左手前に「御硯水」「一字一石供養塔」「漁翁堂(勘作の墓を収める)」「勘作の供養塔」が並んで立っています。
鵜飼山遠妙寺は、文永十一年(1274)夏の頃、日蓮大上人が弟子の日朗日向の両上人と共に当国御巡化のみぎり、鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し、これを済度し即ち法華経一部八巻6万9380余字を河原の小石に一字ずつ書写され、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養を営み、彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります。 
これにしたがって、当山は「宗門川施餓鬼根本道場」として広く信徒に知られ、また謡曲「鵜飼」はこの縁起によって作られたものであります。~由緒書より
謡曲「鵜飼」はどのようなものでしょうか。
殺生を戒め、法華の功徳を説いた曲で、日蓮の高徳説話の一つである。 
安房国(千葉県)清澄の僧(日蓮)が甲斐国(山梨県)石和に行き、川端の堂に泊まっていると鵜飼の老人が来る。従僧がこの老人は2、3年前に接待を受けた漁老に似ているというと、老人は実はその亡霊であるという。 
僧が法華経の句を一石に一字を書いて川に投げ回向をしていると閻魔王が現れ、かの鵜飼は罪深くて地獄に堕つべきものであったが僧を接待した功徳によって、これからは極楽に送るのであると語る。~謡曲史跡保存会の駒札より
遠妙寺山門

山門脇に立つ石和町による解説板

仁王門

本堂

御硯水


漁翁堂(勘助の墓が収まる)と供養塔

由緒書

謡曲史跡保存会の駒札

2016年9月24日土曜日

笛吹川(6-141、山梨県笛吹市石和町)

笛吹川は、秩父山地の甲武信ヶ岳に発して南西流して塩山から甲府盆地に入り、石和(いさわ)に至ります。その後、甲府盆地を南西に貫流して鰍沢付近で釜無川と合流して富士川になります。

謡曲「鵜飼」の石和川は、この笛吹川のことです。

笛吹川の名の由来は、「笛吹権三郎」と呼ばれる民話に語られています。「笛吹権三郎」の像と解説板は、石和温泉駅の正面の道を南下する途中、平等川(川幅10メートルほど)にかかる石和橋の欄干にあります。
およそ600年前ほどむかし、上釜口の芹沢に母親と二人暮らしの権三郎という孝行息子がいました。笛がたいそう好きで、また上手でした。ある晩、豪雨で氾濫した子西(ねとり)かわの濁流に母子はのみ込まれてしまいました。けれども若い権三郎は、権三郎の名を呼びながら流されていった母親のことが片時も忘れられず毎晩毎晩母親を探しました。母親の好きだった曲を吹きながら、ずっと川下の方まで川辺を探しまわったのです。 
疲れきった権三郎は、ある日、川の深みで足をすべらすと、そのまま帰らぬ身となったのです。夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになったのは、権三郎が死んでからのことでした。村人たちは、いつかこの流れを笛吹川と呼ぶようになりました。 
現在の笛吹川は、この地より東南方向800メートルのところを流れていますが、明治40年(1907)の大水害の前には、この地を流れていました。~いさわばしにある「笛吹権三郎の伝説」解説板より
笛吹川は昔は蛇行していて、たびたびの洪水に近隣の住民は悩まされていましたが、長年の改修の結果、現在では直線の川幅の広い流れになっています。

笛吹川に架かる鵜飼橋の欄干には多くの鵜のモニュメントが飾られています。

また、鵜飼橋下流側右岸には、「鵜飼勘作翁之像」が立っています。鵜飼勘作は、謡曲「鵜飼」のもとになった伝説に登場する主人公です。鵜飼勘助は、「鵜飼」の前シテ(鵜使いの霊)で現世の姿ともいえます。

この地では、毎年7~8月に「石和鵜飼」のイベントが開催されます。平安時代から続く、伝統的な「徒歩鵜(かちう)」の実演で、 徒歩鵜とは、鵜匠が川を船に乗らずに歩きながら鵜を操るものです。

橋の上から悠悠と流れる笛吹川を眺めていると、カワウが数羽、上空を川下に向かって飛んでいきました。

笛吹権三郎の像

「笛吹権三郎の伝説」の説明板

石和橋がかかる平等川

鵜飼橋、欄干にこのような鵜のモニュメントがたくさん飾られている

鵜飼橋より笛吹川下流を望む

鵜飼勘作翁の像






2016年5月15日日曜日

池上本門寺(2-112、東京都大田区池上)

池上本門寺は寺格は大本山、山号を長栄山、院号を大国院、寺号を本門寺とし、古くより池上本門寺と呼ばれてきました。
池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。~池上本門寺HPより
日蓮聖人は、『鵜飼』、 『現在七面』、『身延』のワキとして登場します。また、日蓮聖人に因んだ旧跡も全国に数多く点在します。当ブログでも少しずつ、ご紹介していきたいと思います。

池上本門寺は非常に大きなお寺で、威風堂々として荘厳な印象の本堂や仁王門などの堂舎は、参拝者を大きく包み込んでくれるようです。

仁王門

本堂

経蔵

日蓮聖人御廟所

多宝塔