この鬼苦ケ島は現在の下平井地区で、住宅や畑が散在しています。
同地区には山王権現や安楽寺があります。川辺に立って当時の風情を想像するのも一興かと思います。
ただし、「鵜飼」に関する史跡や解説板などがないのは寂しい限りです。
⇒ 所在地のMap
| 安楽寺本堂 |
| 安楽寺聖観音の解説板 |
| 安楽寺のお堂 |
| 山王権現 |
| 山王権現 |
| 山王権現略誌 |
| 安楽寺本堂 |
| 安楽寺聖観音の解説板 |
| 安楽寺のお堂 |
| 山王権現 |
| 山王権現 |
| 山王権現略誌 |
| 岩落付近 |
| 左奥の木々がある場所が岩落(万年橋から下流を望む) |
日蓮上人は、石和の里 鬼苦ケ島(菊ケ嶋)の辻堂で休んでいると、鵜使の亡霊に接したので、日朗に河原の小石を集めさせ、日向にはこの井戸から水を汲ませて墨を磨らせて、自ら筆を執って、法華経一部八巻二十八品六万九千三百八十余文字を三日三夜にわたり一字一石の境石に写書して鵜飼川(笛吹川)岩落の水底に沈めて川施餓鬼供養を行って、亡霊を弔った。
そもそもこの井戸は日蓮上人が錫杖(しゃくじょう)によって掘られたものと伝えられているが、 明治四十年(1907)の大洪水で埋没、その後浚渫修補して今日に至る。~御硯水祖師堂解説板より今も井戸から滾々と清らかな水が湧き出しています。
| 御硯水祖師堂の遠景 |
| 御硯水祖師堂 |
| 井戸 |
| 井戸 |
| 石碑 |
| 「御硯水」解説板 |
鵜飼山遠妙寺は、文永十一年(1274)夏の頃、日蓮大上人が弟子の日朗日向の両上人と共に当国御巡化のみぎり、鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し、これを済度し即ち法華経一部八巻6万9380余字を河原の小石に一字ずつ書写され、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養を営み、彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります。 ~由緒書より一字一石の塔は、手前に立つ白く真新しい「鵜供養塔」とは対照的に、黒ぽく落ち着いていてその功徳が感じられるようでした。
| 左奥に立つのが「一字一石の塔」 |
鵜飼山遠妙寺は、文永十一年(1274)夏の頃、日蓮大上人が弟子の日朗日向の両上人と共に当国御巡化のみぎり、鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し、これを済度し即ち法華経一部八巻6万9380余字を河原の小石に一字ずつ書写され、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養を営み、彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります。
これにしたがって、当山は「宗門川施餓鬼根本道場」として広く信徒に知られ、また謡曲「鵜飼」はこの縁起によって作られたものであります。~由緒書より謡曲「鵜飼」はどのようなものでしょうか。
殺生を戒め、法華の功徳を説いた曲で、日蓮の高徳説話の一つである。
安房国(千葉県)清澄の僧(日蓮)が甲斐国(山梨県)石和に行き、川端の堂に泊まっていると鵜飼の老人が来る。従僧がこの老人は2、3年前に接待を受けた漁老に似ているというと、老人は実はその亡霊であるという。
僧が法華経の句を一石に一字を書いて川に投げ回向をしていると閻魔王が現れ、かの鵜飼は罪深くて地獄に堕つべきものであったが僧を接待した功徳によって、これからは極楽に送るのであると語る。~謡曲史跡保存会の駒札より
| 遠妙寺山門 |
| 山門脇に立つ石和町による解説板 |
| 仁王門 |
| 本堂 |
| 御硯水 |
| 漁翁堂(勘助の墓が収まる)と供養塔 |
| 由緒書 |
| 謡曲史跡保存会の駒札 |
およそ600年前ほどむかし、上釜口の芹沢に母親と二人暮らしの権三郎という孝行息子がいました。笛がたいそう好きで、また上手でした。ある晩、豪雨で氾濫した子西(ねとり)かわの濁流に母子はのみ込まれてしまいました。けれども若い権三郎は、権三郎の名を呼びながら流されていった母親のことが片時も忘れられず毎晩毎晩母親を探しました。母親の好きだった曲を吹きながら、ずっと川下の方まで川辺を探しまわったのです。
疲れきった権三郎は、ある日、川の深みで足をすべらすと、そのまま帰らぬ身となったのです。夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになったのは、権三郎が死んでからのことでした。村人たちは、いつかこの流れを笛吹川と呼ぶようになりました。
現在の笛吹川は、この地より東南方向800メートルのところを流れていますが、明治40年(1907)の大水害の前には、この地を流れていました。~いさわばしにある「笛吹権三郎の伝説」解説板より笛吹川は昔は蛇行していて、たびたびの洪水に近隣の住民は悩まされていましたが、長年の改修の結果、現在では直線の川幅の広い流れになっています。
| 笛吹権三郎の像 |
| 「笛吹権三郎の伝説」の説明板 |
| 石和橋がかかる平等川 |
| 鵜飼橋、欄干にこのような鵜のモニュメントがたくさん飾られている |
| 鵜飼橋より笛吹川下流を望む |
| 鵜飼勘作翁の像 |
池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。日蓮聖人は、『鵜飼』、 『現在七面』、『身延』のワキとして登場します。また、日蓮聖人に因んだ旧跡も全国に数多く点在します。当ブログでも少しずつ、ご紹介していきたいと思います。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。~池上本門寺HPより
| 仁王門 |
| 本堂 |
| 経蔵 |
| 日蓮聖人御廟所 |
| 多宝塔 |