貞観2年(860)に千束郷の総鎮守として創建された。こじんまりとした神社で、訪れたのが平日であったためか参拝者もまばらでした。
承平5年(935)、平将門の乱が起り、朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣された。
この乱の後に忠方は池畔に館を構え、八幡宮を氏神として祀り、館が池の上手に当たることから池上氏を呼称した。なお、この九代目の子孫が日蓮を身延から招請した池上康光(宗仲の父)である。
八幡太郎義家が奥羽征討(後三年の役)の際、この池でみそぎして、社前に額いて戦勝祈願をしたと伝えられている。
源頼朝も安房国から鎌倉に上る途中、この地が源氏の氏神である八幡宮であることを知って大いに喜び、此処に征平の旗幟(のぼり)を建てると、近郷から将兵が集まり鎌倉に入ることができたことから、「旗挙げ八幡」の別名がある。~御由緒書より
石の鳥居 |
御由緒の石板 |
本殿 |