湯島天神の祭神は、
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真です。
菅原道真は33歳で文章博士となり、その政治力を認められて宇多天皇、さらに醍醐天皇の信任があつく、昌泰2年(899)、左大臣藤原時平と並んで右大臣兼右近衛大将に任ぜられ(55歳)、ついで同4年正月には従二位に叙せられた。しかし、時平の中傷によって太宰権帥に左遷された。配所で道真は、門を閉ざして出でず、ひたすら謹慎の意を表していたが、延喜3年(903)2月25日に死去した。~「湯島天満宮縁起」より
延喜9年(909)年に時平が病没した時、都では道真の祟りによるものと噂が広まりました。
能「雷電」および浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」五段目・大内転変の段でこの恐ろしさを表しています。
湯島天神は 雄略天皇2年(458)1月 勅命により創建と伝えられている。天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平10年(1355)2月郷民が菅公の偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)10月に、太田道灌これを再建し、天正18年(1590)徳川家康が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。~「湯島天満宮縁起」より
しかし、一般的には菅原道真は「学問の神様」として崇められ、受験シーズンになると全国の天神様には合格祈願ため多くの受験生が参拝に訪れます。
この両者のギャップが非常に興味深いと思っています。
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銅鳥居から境内を望む |
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本殿 |
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男坂 |