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2019年3月21日木曜日

放下僧仇討の跡(2-041、神奈川県横浜市金沢区瀬戸、瀬戸神社)

放下僧仇討の跡がある瀬戸神社は、京急金沢八景駅から国道16号線を東京方面に進んだ左手、徒歩1分のところにあります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊を「せと」の聖地に祭り、篤く信仰しました。社殿の造営もおこなわれ、今日のような神社の景観ができ上がったのは概ねこの頃のことです。執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また関東管領足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。(「瀬戸神社略縁起」より引用)
道路沿いにある鳥居をくぐると立派な社殿が目の前に現れます。短い参道の左手に放下僧仇討の跡があります。
謡曲「放下僧」は、室町時代相模国の刀根信俊に、父の下野国牧野左衛門を討たれた遺児の兄弟が、そのころ流行していた僧行の旅芸人(これを放下僧といった)に扮し、ここ武蔵国瀬戸の三島神社で、見事父の仇をうったという世話巷談をもとに脚色されているが、このときの仇討ちの場所が、境内にある手水舎の東側だったと、伝えられている。なお、樹齢千年といわれる境内の名木「榧の木」は、当時既にあったもの。(謡曲史跡保存会の駒札から引用)
国道の反対側には平潟湾に突き出たところ、弁天島に境内神社の琵琶嶋神社があります。この社は北条政子が近江の竹生島弁才天を勧請したものです。参道入り口右側に頼朝が参拝の折に服を掛けたという福石が立っています。

瀬戸神社全景

本殿(右手前が手水舎)

本殿

放下僧仇討の跡

謡曲史跡保存会の駒札


榧の木

琵琶嶋神社鳥居

琵琶嶋神社

解説板

福石

福石の石板




2016年5月20日金曜日

池月の銅像(いけづきのどうぞう、2-000、東京都大田区南千束、千束八幡神社)

「池月」は、「磨墨(するすみ)」と並ぶ名馬として平家物語にも登場します。

池月は頼朝から佐々木高綱に与えられて、同じく磨墨を与えられた梶原景季と宇治川の合戦(寿永3年(1184))で先陣争いをしました。

高綱・池月はこの争いに勝って一番乗りの栄誉を得ました。
治承4年(1180)、源頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中、この千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣の味方の参加を待った。
ある月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現れ、そのいななく声は天地を震わせるほどであった。家来たちがこれを捕らえて頼朝に献上した。馬体はたくましく、青毛に白い斑点を浮かべ、さながら池に映る月光のように美しかったので、池月と命名し頼朝の乗馬とした。~池月の銅像の解説板より
頼朝は先に磨墨を得て、さらにこの地で池月を得たのは平家討伐の吉兆と考えられました。将兵共々、旗を高く掲げて歓声が止まなかったとのことです。

千束八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称するのはこの故事によるものです。

池月の銅像は千束八幡神社の裏手の洗足池を望むところに、また大きな池月の絵馬は境内に立っています。

「磨墨」について

池月の像

池月の解説板

池月の絵馬

絵馬の解説札

2016年5月19日木曜日

千束八幡神社(2-000、東京都大田区

洗足池の西側の小高い丘の上に千束八幡神社があります。
貞観2年(860)に千束郷の総鎮守として創建された。
承平5年(935)、平将門の乱が起り、朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣された。
この乱の後に忠方は池畔に館を構え、八幡宮を氏神として祀り、館が池の上手に当たることから池上氏を呼称した。なお、この九代目の子孫が日蓮を身延から招請した池上康光(宗仲の父)である。
八幡太郎義家が奥羽征討(後三年の役)の際、この池でみそぎして、社前に額いて戦勝祈願をしたと伝えられている。
源頼朝も安房国から鎌倉に上る途中、この地が源氏の氏神である八幡宮であることを知って大いに喜び、此処に征平の旗幟(のぼり)を建てると、近郷から将兵が集まり鎌倉に入ることができたことから、「旗挙げ八幡」の別名がある。~御由緒書より
こじんまりとした神社で、訪れたのが平日であったためか参拝者もまばらでした。

石の鳥居

御由緒の石板

本殿