ラベル S-蝉丸 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル S-蝉丸 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年1月8日火曜日

関蝉丸神社下社(4-122、滋賀県大津市逢坂)

  関蝉丸神社下社は、国道1号線を大津に向かい、国道161号線に入って間もなく左手の京阪電鉄京津線の踏切を渡った際に同社の鳥居が建っています。

蝉丸三社の中で一番規模が大きく、境内は広く社殿も立派です。参拝した時は傷みの激しい社殿の修理中でした。
創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(822)と伝えられている。小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。貞観十七年(876)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。
平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(946)とも平安時代末ともいわれている。その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(971)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。
江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。(関蝉丸神社HP御由緒から引用)
関蝉丸神社は現在でも歌舞音曲・芸能の祖神として崇められていて、関蝉丸音楽祭が開催されているようです。

⇒ 所在地Map

線路越しの鳥居

標柱

参道と関清水神社(右手)

本殿

摂社貴船神社

時雨灯篭

謡曲史跡保存会の駒札



2019年1月7日月曜日

関蝉丸神社上社(4-122、滋賀県大津市逢坂)

蝉丸三社のひとつである関蝉丸神社上社は国道1号線を大津に向かって名神高速道路をくぐる手前の左手、急な階段を登った上にあります。

急斜面に張り付くように建立されていて、境内は三社の中で一番こじんまりしています。赤い鳥居と柵が道路からも目立ちます。
御祭神は上社 猿田彦命 下社 豊玉姫命 、[配祀神]上下社 蝉丸霊 
関蝉丸神社は上下社をもって一社とする。社記によると創祀は嵯峨天皇の弘仁十三年と伝える。しかし逢坂山は京都と近江の国堺であり、琵琶湖と王城並畿内を結ぶ交通の要所でもあったので、古くより国堺神・坂神・手向の神(道祖神)又逢坂越の関の守護神としても崇敬され、更に王城の疫神として疫神祭(道饗祭)が斎行されたこともあり、これ等の御神徳が集って関明神上下社が創祀されたものと考えられる。貞観十七年に坂神に従五位下の神位が贈られている。(滋賀県神社庁HPより引用)
⇒ 所在地Map

石標と神社への階段

鳥居

本殿遠景

本殿

2019年1月6日日曜日

蝉丸神社(4-122、滋賀県大津市大谷町)

大津市大谷町から同逢坂(国道1号線の蝉丸トンネル近くから国道161号線との分岐地点)にかけて「蝉丸神社」の名を冠する神社が3社あります。順に蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社です。
当社は天慶九年、蝉丸を主神としてまつられている。蝉丸は盲目の琵琶法師であり、音曲芸道の祖神として平安末期の芸能にたずさわる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものである。その後、万治三年、現在の社が建立され、街道の守護神である猿田彦命を合祀している。(滋賀県神社庁HPより引用)
かなり急な階段を上って鳥居をくぐった境内は広くはないですが、きちんと清掃や手入れがされていて、他に参拝者はおらず、静寂に包まれていました。

石柱

急な階段

鳥居

舞台越しに見た本殿

本殿

由緒書



2019年1月5日土曜日

逢坂山関址(4-000、滋賀県大津市大谷町)

京阪電鉄京津線 の大谷駅を 下車 して徒歩 5分、国道1号線沿いに「逢坂山関跡」の記念碑が立っています。

この地は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、京から東国への旅は必ず通った場所だったそうです。
 古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残っています。中でも「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸(せみまる)の歌は、百人一首にも採りあげられて広く親しまれています。また、大津八景「関寺(せきでら)の晩鐘(ばんしょう)」「逢坂(おうさか)の暮雪(ぼせつ)」では、厳しかった逢坂越での美しい景観がうかがえます。 実際に関所があったのは、記念碑から少し大津寄りで関寺の付近であったのではないかといわれています。(公社びわこビジターズビューロー「滋賀県観光情報」より引用)
国道をひっきりなしに車が行き交う交通の激しいところです。そのようななかで車の行き来が途絶えた一時に、歌が詠まれた時代の風景をイメージするもの一興ではないでしょうか。
「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・竹内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。平安時代に逢坂関がもうけられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。(逢坂の説明石柱より)
⇒ 所在地のMap

逢坂関跡碑
「逢坂」の説明石注(逢坂山安養寺前)