日蓮聖人が見延山から常陸の温泉に向かわれる途中、公安5年(1282)9月18日千束池を御通りがかりになりました。兼ねて聖人に信伏しておられた池上右衛門大夫宗仲の館も近づき、そのうえ、丘と水のおりなす池の絶景に思わず馬を止められ、旅装束をといて、池畔の老松に法衣をかけ、澄みきった池水で手足をお洗いになりました。これが洗足池の名のおこりです。現在の松は3代目だそうです。
その瞬間不思議なことに波一つたっていない水面が俄に渦を巻きはじめ、蛇形をなして水柱となるや、中から眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)の光を放つ天女がご出現、聖人合掌して御題目をおとなえあそばせば「九年間聖人を守護して参りました見延七面山頂の湖水に住む水神七面天女遥遥道中のため御守護してお供して参りました」とお明かしになりました。聖人これに応えて法華経提婆達多品を読誦されるや、法華経を信ずる者を末法末永く加護することを御宣言になり水中に消え失せられました。時の舎人このことを後世に伝えようと聖人御入滅後にこの地に来たって小堂を営み七面天女を安置しました。これが当山のはじまりであります。~日蓮宗東京都南部宗務所「管内寺院紹介」HPより
洗足池と袈裟懸松は江戸時代の浮世絵『江戸百景』(冬景)でも「千束の池袈裟懸松」として歌川広重が描いています。右手に「袈裟懸松」があって3人の見物人がいます。池畔の左奥には「千束神社」がみえます。
現在とは違って、当時の長閑な雰囲気がうかがわれます。
御袈裟懸松 |
歌川広重「千束の池袈裟懸松」 |