2016年9月26日月曜日

鵜飼山遠妙寺(6-140、山梨県笛吹市石和町市部)

鵜飼山遠妙寺(うかいざんえんみょうじ)は、石和温泉駅から南に直進して国道411号線の石和温泉駅入口の交差点を左折し、400メートルほど進んだ遠妙寺交差点の左手前にあります。駅からは徒歩15~20分です。

国道に面した山門は小ぶりながらも重厚感があります。その奥の仁王門を抜けると境内です。

本堂の左手前に「御硯水」「一字一石供養塔」「漁翁堂(勘作の墓を収める)」「勘作の供養塔」が並んで立っています。
鵜飼山遠妙寺は、文永十一年(1274)夏の頃、日蓮大上人が弟子の日朗日向の両上人と共に当国御巡化のみぎり、鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し、これを済度し即ち法華経一部八巻6万9380余字を河原の小石に一字ずつ書写され、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜にわたり施餓鬼供養を営み、彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります。 
これにしたがって、当山は「宗門川施餓鬼根本道場」として広く信徒に知られ、また謡曲「鵜飼」はこの縁起によって作られたものであります。~由緒書より
謡曲「鵜飼」はどのようなものでしょうか。
殺生を戒め、法華の功徳を説いた曲で、日蓮の高徳説話の一つである。 
安房国(千葉県)清澄の僧(日蓮)が甲斐国(山梨県)石和に行き、川端の堂に泊まっていると鵜飼の老人が来る。従僧がこの老人は2、3年前に接待を受けた漁老に似ているというと、老人は実はその亡霊であるという。 
僧が法華経の句を一石に一字を書いて川に投げ回向をしていると閻魔王が現れ、かの鵜飼は罪深くて地獄に堕つべきものであったが僧を接待した功徳によって、これからは極楽に送るのであると語る。~謡曲史跡保存会の駒札より
遠妙寺山門

山門脇に立つ石和町による解説板

仁王門

本堂

御硯水


漁翁堂(勘助の墓が収まる)と供養塔

由緒書

謡曲史跡保存会の駒札

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