2017年1月18日水曜日

上加茂神社(1-117、京都府京都市北区上賀茂本山)

上加茂神社は通称で、正しくは加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。山城国一宮です。

神代の昔、現在地の北北西にある神山(こうやま)にご降臨され、約1400年前には、現在の御殿の基が国家によって造営されたとのことです。

平成六年には23万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

一ノ鳥居から二ノ鳥居にかけては、緑の境内(馬場)が広がり、城砂の参道が伸びています。明るく開放感があります。

二ノ鳥居をくぐると立砂と細殿が目に入ります。楼門さらに中門をくぐると本殿、左側に権殿がそびえていて、ともに国宝に指定されています。
立砂は神山を象ったもので、神を迎える原型といわれ、頂きに松の葉が立ち、陰と陽の一対になっている。~由緒書より
細殿と楼門の間の橋殿で、左手の御手洗川(みたらし)と右手の御物忌川(おものい)が合流して、ならの小川となって清らかな水が流れています。

百人一首の「ならの小川」は、藤原家隆が「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける」と、平安の昔、神職がみそぎを修していた風景を詠んでいます。

謡曲「賀茂」で「御手洗や、清き心に澄む水の」と謡われ、別雷の神の縁起も語られます。
秦氏の妻女の玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産んだ。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別.雷(わけいかづち)の神となる。この神を祀ったのが当社である。〜養殖史跡保存会駒札より
御神紋は「二葉葵」で、葵は古く「あふい」と読み、「ひ」とは神を表す。御祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの神託があったところから、上と人とを結ぶ草として当神社の神紋となっている。~由緒書より 
京都三大祭りの一つである葵祭は、毎年五月十五日に京都御所を出発した行列が下鴨神社を経由して上加茂神社に至るコースを5時間をかけてたどります。

一ノ鳥居

二ノ鳥居

謡曲史跡保存会の駒札

細殿と立砂

立砂の駒札

本殿

ならの小川と藤原家隆の歌碑

ならの小川

ならの小川

願い石(陰陽石)


紫式部の歌碑

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