2016年10月10日月曜日

高館・義経堂(5-130、岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所)

高館・義経堂(たかだち・ぎけいどう)は、JR東北本線を挟んで毛越寺の反対側、北上川が見える高台にあります。
高館(たかだち)は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡(きよひら)の時代から、要害地とされていました。 
兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経は、藤原氏三代秀衡(ひでひら)の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。 
しかし、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡(やすひら)の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。 
丘の頂上には、天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村(つなむら)が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経の木造が安置されています。 
高館からの眺望は平泉随一といわれ、東にとうとうと流れる北上川、束稲山(別名・東山)が見えます。また西からは、かつてその流域で前九年・後三年の役の戦いの場であり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。~義経堂パンフレットより
義経堂の右隣には、源義経主従供養塔が立っています。昭和61年(1986)に、藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶800年の遠忌を期して供養のために造立されたものだそうです。

また、松尾芭蕉が元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)に、この高館の地に立って 、「夏草や 兵共が(つわものどもが) 夢の跡」の名句を詠んだそうです。その句碑も義経堂の近くに立っています。

なかなか雄大な景色を眺めながら、往時を偲ぶことができます。

義経堂

源義経供養塔

高館からの眺望(北上川)

高館からの眺望(北上川)

芭蕉句碑

高館眺望案内図






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