源翁心昭(または玄翁、1326~1396年)は南北朝時代の曹洞宗の僧で、那須で殺生石(せっしょうせき)を退治する逸話が有名です。
室町時代の応安四年(1371)に、結城氏の招きで結城を訪れ、安穏寺(あんのんじ)を禅宗の寺に改めて開山しました。墓は2メートル程の卵塔でずっしりとた構えの立派なものです。
源翁和尚は、安穏寺に4年間滞在した後、会津へ行き、さらに那須では、悪い煙を噴き上げて人や鳥獣に害を与えていた殺生石を二つに割り、石の中にいた悪霊を成仏させた人物として知られています。
このことは、源翁和尚とその門人たちが石工に関係があり、周囲に職人達がいたことをうかがわせます。
また、殺生石にまつわる伝説は、民話、能、浄瑠璃などに取り上げられ、全国的に知られており、このことから石を砕いたりする鎚を「げんのう」と呼ぶようになったいわれています。~結城市教育委員会の解説板より
墓の西方にある安穏寺には、 室町時代に制作された払子(源翁和尚所持)と数珠(源翁和尚の愛用品)があるそうです。
境内には天保十二年(1841)に建てられた本堂と至徳二年(1385)に建てられた楼門形式の山門などがあり、特に山門の下を通るとキツネつきが治るという言い伝えがあります。
⇒ 所在地のMap
源翁和尚墓 |
墓への入口 |
解説板 |
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