近衛帝の久寿年中(きゅうじゅ、1154~55年)、勅を奉じて三浦介義明・千葉介常胤上総介広常が、玉藻前(たまものまえ)が狐と化して逃げて那須野に隠れ棲んでいるのを退治するために、犬を狐にみたたて追い射る武技を行った跡という。~解説板より謡曲「殺生石」(せっしょうせき)に次の記述があります。
その後勅使立って 三浦の介 上総の介 両人に綸旨(りんし)をなされつつ 那須野の化生(けしょう)の者を 退治せよとの勅を受けて 野干(やかん)は犬に似たれば 犬にて稽古あるべしとて 百日犬をぞ射たりける これ犬追物の始めとかや ~『謡曲集』新潮社より芭蕉も元禄2年(1689)4月にこの地を訪れたとのことです。
同地は田んぼや林などが広がる長閑な雰囲気であり、逃げ回る犬を馬上から矢で射る当時の猛々しい状況は想像するしかありません。
⇒ 所在地のMap
「犬追物の馬場」の説明板 |
「犬追物の馬場」一帯の風景 |