奥嵯峨にあり、竹林や楓に囲まれ、綺麗な苔も印象的です。
訪れる人も少なく、観光地の喧騒を忘れて散策ができます。
『平家物語』に登場し、清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王(ぎおう)が清盛も心変わりによって都を追われるように去り、母刀自(とじ)と妹祇女(ぎじょ)とともに出家し、入寺した尼寺として知られています。
人の移ろいやすい心に翻弄される祇王ら家族、無常を感じて同道する仏御前。以下は、『平家物語』 巻一 祇王 のあらすじです。
都に聞こえた白拍子の上手に祇王、祇女という姉妹があった。姉の祇王が清盛の寵愛を得て、妹祇女も有名となり、安穏に暮らしていた。ところが、仏御前(ほとけごぜん)と呼ばれる白拍子が清盛の屋敷に現れて、舞をお目にかけたいと申し出た。清盛は門前払いをしようとしたが、祇王が優しく取りなしたので、今様を歌わせることにした。
仏御前は、声も節もすこぶる上手だったため、清盛は、たちまち心を動かして仏御前に心を移した。昨日までの寵愛は何処へやら、祇王は館を追い出されることになった。せめてもの忘れ形見にと、「萌え出づる 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき」と障子に書き残して去ってゆく。
祇王、祇女、母刀自の三人、髪を剃って尼となり、嵯峨の山里、今の祇王寺の地に世を捨て、仏門に入る。
母子三人念仏しているところへ竹の編戸をほとほととたたく者がある。出てみると、思いもかけぬ仏御前であった。「祇王の不幸を思うにつれ、無常を感じ、袈裟、館をまぎれ出て、かくなりてこそ参りけれ」と被っていた衣を打ちのけるのを見れば、剃髪した尼の姿であった。わずか十七にこそなる人の、浄土を願わんと深く思い入り給うこそと、四人一緒に籠って、朝夕の仏前に香華を供えて、みな往生の本懐を遂げた。~「祇王寺のパンフレット」より引用
関連した謡曲には、「祇王」と「仏原」(ほとけのはら)があります。
「祇王」は、清盛に翻弄される運命となった祇王と仏御前の友情を描いた現在能で、宝生流、金剛流、喜多流(「二人祇王」で参考曲)にあります。
「仏原」は、仏御前の霊が祇王との仲を振り返り、世の中の無常をうたう夢幻能で、観世流と金剛流にあります。
それにしても、祇王、祇女、母刀自の墓の横に、清盛の供養塔が並んでいるのを見ると、何とも複雑な気持ちになります。
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祇王寺の案内板 |
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茅葺屋根の小さな山門 |
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苔むした中庭 |
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中庭からの本堂 |
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本堂 |
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祇王・祇女・母刀自の墓(左)と清盛の供養塔(右) |
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祇王寺の駒札 |