2016年8月3日水曜日

滝口寺(1-000、 京都府京都市右京区嵯峨亀山町)

滝口寺は祇王寺の隣にあります。

祇王寺と同様に訪れる人が少なく、嵯峨野のなかで静寂さを感じることができます。

滝口寺はもと往生院三宝寺といい、念仏坊によって創建された往生院は、応仁の乱などの戦乱を経て、祇王寺と三宝寺とが浄土宗の寺として残りました。

明治維新で廃寺になった後、祇王寺に続いて滝口寺も再建され、佐々木信綱博士が滝口入道にちなんで滝口寺と命名したそうです。

『平家物語』 巻十 維盛高野 で滝口入道と横笛の悲恋が挿入されています。
滝口入道はもと平重盛の侍で斎藤滝口時頼といいました。 
時頼は建礼門院付きの女官の横笛に恋慕し、恋文を取り交わす仲になりましたが、父親の反対や自責の念から嵯峨の往生院で出家します。 
横笛は滝口入道が出家したことを恨めしく思い、往生院を尋ねました。しかし、横笛は滝口入道に会うことはかなわなかったので、近くにあった石に歌を書いて泣く泣く帰りました。     山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に我を導け
滝口入道は未練が残ったまま別れた女性に居所を見つけられては修行の妨げになると思い、高野山に移りました。 
横笛もその後すぐに法華寺で尼になったと聞いた滝口入道は、一首の歌を横笛に送りました。    そるまでは 恨みしかども 梓弓 まことの道に入るぞ 嬉しき 
横笛返して。 そるとても 何か恨みむ 梓弓 引きとどむべき 心ならねば 
横笛は、まもなく法華寺で亡くなりました。滝口入道は、このことを伝え聞いてますます仏道修行に励んで、高野の聖といわれる高僧になったといいいます。~「滝口寺パンフレット」より
本堂には、「滝口入道と横笛の木像」が仲良く並んでいます。鎌倉後期の作だそうです。

参道の途中には、「横笛歌石」があります。横笛が指を切って血で歌をかいて帰ったという石です。

入口を入ったところには、「新田義貞の首塚」があります(別途、ご照会します)。

滝口寺本堂

滝口入道(右)と横笛(左)の木像

横笛歌石(右奥)

平家供養塔

滝口寺の駒札