2019年1月10日木曜日

小町供養塔(4-000、滋賀県大津市逢坂、長安寺)

関蝉丸神社から国道161号線をさらに大津方面に進んだ右手に長安寺と刻まれた標柱と緩やかな階段が見えてきます。

階段を登っていくとコンパクトで綺麗な本堂が立っています。その奥に小町供養塔があり、さらに境内には立派な牛塔が立っています。小町供養塔の傍らには謡曲史跡保存会の駒札が立っていて、牛塔と謡曲「関寺小町」との関係が記されています。
「関寺小町」は、老衰した小町がなお優秀な歌人として風雅で上品な気質であることを素直に描いた老女物の秘曲である。
或年の7月7日、近江国関寺の住職が稚児を連れて山かけに住む老女の許へ歌物語を聞きに行った。老女は僧に請われるままに歌物をはじめた。その言葉の端から彼女が小野小町であることが分かった。
この牛塔は関寺建立の際、工事を助けるために現れた「霊牛」を供養するために建てられたといわれる日本で最古最大の宝塔である。その他残る物とて何一つないが、かえって老女小町の隠棲地にふさわしくさえ思えてくる。(謡曲史蹟保存会の駒札より引用)
関寺はかつてこの付近にあったとされる寺院で、長安寺がその跡地に建てられているとのことです。


長安寺の標柱と参道の階段

本堂

小町供養塔

謡曲史跡保存会の駒札

牛塔

牛塔の解説板

一遍上人供養塔

2019年1月8日火曜日

関蝉丸神社下社(4-122、滋賀県大津市逢坂)

  関蝉丸神社下社は、国道1号線を大津に向かい、国道161号線に入って間もなく左手の京阪電鉄京津線の踏切を渡った際に同社の鳥居が建っています。

蝉丸三社の中で一番規模が大きく、境内は広く社殿も立派です。参拝した時は傷みの激しい社殿の修理中でした。
創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(822)と伝えられている。小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。貞観十七年(876)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。
平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(946)とも平安時代末ともいわれている。その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(971)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。
江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。(関蝉丸神社HP御由緒から引用)
関蝉丸神社は現在でも歌舞音曲・芸能の祖神として崇められていて、関蝉丸音楽祭が開催されているようです。

所在地Map

線路越しの鳥居

標柱

参道と関清水神社(右手)

本殿

摂社貴船神社

時雨灯篭

謡曲史跡保存会の駒札



2019年1月7日月曜日

関蝉丸神社上社(4-122、滋賀県大津市逢坂)

蝉丸三社のひとつである関蝉丸神社上社は国道1号線を大津に向かって名神高速道路をくぐる手前の左手、急な階段を登った上にあります。

急斜面に張り付くように建立されていて、境内は三社の中で一番こじんまりしています。赤い鳥居と柵が道路からも目立ちます。
御祭神は上社 猿田彦命 下社 豊玉姫命 、[配祀神]上下社 蝉丸霊 
関蝉丸神社は上下社をもって一社とする。社記によると創祀は嵯峨天皇の弘仁十三年と伝える。しかし逢坂山は京都と近江の国堺であり、琵琶湖と王城並畿内を結ぶ交通の要所でもあったので、古くより国堺神・坂神・手向の神(道祖神)又逢坂越の関の守護神としても崇敬され、更に王城の疫神として疫神祭(道饗祭)が斎行されたこともあり、これ等の御神徳が集って関明神上下社が創祀されたものと考えられる。貞観十七年に坂神に従五位下の神位が贈られている。(滋賀県神社庁HPより引用)
所在地Map

石標と神社への階段

鳥居

本殿遠景

本殿

2019年1月6日日曜日

蝉丸神社(4-122、滋賀県大津市大谷町)

大津市大谷町から同逢坂(国道1号線の蝉丸トンネル近くから国道161号線との分岐地点)にかけて「蝉丸神社」の名を冠する神社が3社あります。順に蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社です。
当社は天慶九年、蝉丸を主神としてまつられている。蝉丸は盲目の琵琶法師であり、音曲芸道の祖神として平安末期の芸能にたずさわる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものである。その後、万治三年、現在の社が建立され、街道の守護神である猿田彦命を合祀している。(滋賀県神社庁HPより引用)
かなり急な階段を上って鳥居をくぐった境内は広くはないですが、きちんと清掃や手入れがされていて、他に参拝者はおらず、静寂に包まれていました。

石柱

急な階段

鳥居

舞台越しに見た本殿

本殿

由緒書



2019年1月5日土曜日

逢坂山関址(4-000、滋賀県大津市大谷町)

京阪電鉄京津線 の大谷駅を 下車 して徒歩 5分、国道1号線沿いに「逢坂山関跡」の記念碑が立っています。

この地は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、京から東国への旅は必ず通った場所だったそうです。
 古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残っています。中でも「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸(せみまる)の歌は、百人一首にも採りあげられて広く親しまれています。また、大津八景「関寺(せきでら)の晩鐘(ばんしょう)」「逢坂(おうさか)の暮雪(ぼせつ)」では、厳しかった逢坂越での美しい景観がうかがえます。 実際に関所があったのは、記念碑から少し大津寄りで関寺の付近であったのではないかといわれています。(公社びわこビジターズビューロー「滋賀県観光情報」より引用)
国道をひっきりなしに車が行き交う交通の激しいところです。そのようななかで車の行き来が途絶えた一時に、歌が詠まれた時代の風景をイメージするもの一興ではないでしょうか。
「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・竹内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。平安時代に逢坂関がもうけられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。(逢坂の説明石柱より)
所在地のMap

逢坂関跡碑
「逢坂」の説明石注(逢坂山安養寺前)

2017年10月1日日曜日

成田不動(5-054、千葉県成田市成田、成田山新勝寺)

成田不動は成田山新勝寺といい、真言宗智山派の大本山で、開基は天慶三年(940)です。
939(天慶2)年関東の武将・平将門が新皇と名乗り朝廷と敵対、平将門の乱が勃発します。乱世の中で人びとは、不安と混乱の中で生活していました。朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正は、弘法大師空海みずからが敬刻開眼した不動明王を捧持して京の都を出発。大坂から船に乗り、房総半島の尾垂ヶ浜に上陸します。
寛朝大僧正は、成田の地に御尊像を奉安し、御護摩を焚いて乱の21日間戦乱が鎮まるようにと祈願します。祈願最後の日、平将門が敗北して関東の地に再び平和が訪れます。寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像が磐石のごとく動かず、この地に留まるよう告げます。ここに成田山新勝寺が開山されたのです。~大本山成田山HP、「開山縁起」より
年間1,000万人を超える参詣者が訪れるそうです。成田山は、成田国際空港から最寄り駅のJR成田駅および京成成田駅まで所要時間8分、さらに各駅から 徒歩10分という海外からの観光客が参拝するにも大変便利な立地です。

広い境内にあって大本堂は威風堂々とした構えです。総門や仁王門も立派でした。なかでも釈迦堂は、その板壁には五百羅漢像が浮彫り彫刻で8面、また扉には中国の代表的な孝子物語である二十四孝12面が付けれれていて、目を見張るものでした。

総門

仁王門

仁王門説明板

大本堂

釈迦堂

釈迦堂解説板

五百羅漢


二十四孝

五百羅漢

五百羅漢

五百羅漢



2017年9月18日月曜日

鹿島神宮(5-055、茨城県鹿嶋市宮中)

鹿島神宮は常陸国一宮で、古文書では神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられています。近代まで「神宮」と呼ばれていたのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみだそうです。

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏、後には武家からの崇敬を受けてきました。
鹿島神宮の本殿が北向きに建てられているという特徴があります。これは、鹿島神宮の神様の勢力が未開の地であった東北に伸びるようにするためで、その後、順調に東北へ勢力を伸ばしたことから、鹿島神宮は日本建国の節目地点とされています。そこから「物事の始まり」にご利益がある神社とされ、「鹿島立ち」の語源となりました。~茨城県観光物産協会HPより
謡曲『右近』『放生川』のワキは「 そもそもこれは鹿島の神職(筑波)の何某(なにがし)とはわがことなり」と名乗ります。

青木実『謡蹟めぐり』では、古川久氏の研究として大倭二十四孝の「平の桜子」に、「謡曲『桜川』の桜子が人商人と共にこの鹿島の宮に詣でた時、丁度来合わせた磯部寺の門主の目にとまり、ただびとならず由ありげに見えたので、黄金五十両、富士の綿一千斤を人商人にとらせて、桜子を磯部寺に伴い帰った」という由縁があることを紹介しています。

境内には、鹿園があります。奈良時代に御祭神の分霊を乗せ、鹿島立ちをし、奈良の春日大社に祀った「神鹿」で、奈良公園の鹿の発祥は鹿島だそうです。

奥宮のさらに奥に「要石」(かなめいし)があります。地震おさえの石といわれ、地震を起こす大なまずの頭をおさえていると言われています。なお、桜川磯部稲村神社にある要石は大なまずの尾を押さえているそうです。⇒ 桜川磯部稲村神社

境内は緑豊かなので木陰が多く、夏でも比較的涼しく参拝ができます。

大鳥居

案内板

楼門

境内案内


本殿・拝殿

奥宮

奥宮

要石の標柱

要石

要石

御手洗池

御手洗池
境内案内図

親鸞上人旧跡