蝉丸三社の中で一番規模が大きく、境内は広く社殿も立派です。参拝した時は傷みの激しい社殿の修理中でした。
創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(822)と伝えられている。小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。貞観十七年(876)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。関蝉丸神社は現在でも歌舞音曲・芸能の祖神として崇められていて、関蝉丸音楽祭が開催されているようです。
平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(946)とも平安時代末ともいわれている。その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(971)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。
江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。(関蝉丸神社HP御由緒から引用)
⇒ 所在地Map
線路越しの鳥居
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標柱
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参道と関清水神社(右手)
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本殿
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摂社貴船神社
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時雨灯篭
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謡曲史跡保存会の駒札
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