2016年9月24日土曜日

笛吹川(6-141、山梨県笛吹市石和町)

笛吹川は、秩父山地の甲武信ヶ岳に発して南西流して塩山から甲府盆地に入り、石和(いさわ)に至ります。その後、甲府盆地を南西に貫流して鰍沢付近で釜無川と合流して富士川になります。

謡曲「鵜飼」の石和川は、この笛吹川のことです。

笛吹川の名の由来は、「笛吹権三郎」と呼ばれる民話に語られています。「笛吹権三郎」の像と解説板は、石和温泉駅の正面の道を南下する途中、平等川(川幅10メートルほど)にかかる石和橋の欄干にあります。
およそ600年前ほどむかし、上釜口の芹沢に母親と二人暮らしの権三郎という孝行息子がいました。笛がたいそう好きで、また上手でした。ある晩、豪雨で氾濫した子西(ねとり)かわの濁流に母子はのみ込まれてしまいました。けれども若い権三郎は、権三郎の名を呼びながら流されていった母親のことが片時も忘れられず毎晩毎晩母親を探しました。母親の好きだった曲を吹きながら、ずっと川下の方まで川辺を探しまわったのです。 
疲れきった権三郎は、ある日、川の深みで足をすべらすと、そのまま帰らぬ身となったのです。夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになったのは、権三郎が死んでからのことでした。村人たちは、いつかこの流れを笛吹川と呼ぶようになりました。 
現在の笛吹川は、この地より東南方向800メートルのところを流れていますが、明治40年(1907)の大水害の前には、この地を流れていました。~いさわばしにある「笛吹権三郎の伝説」解説板より
笛吹川は昔は蛇行していて、たびたびの洪水に近隣の住民は悩まされていましたが、長年の改修の結果、現在では直線の川幅の広い流れになっています。

笛吹川に架かる鵜飼橋の欄干には多くの鵜のモニュメントが飾られています。

また、鵜飼橋下流側右岸には、「鵜飼勘作翁之像」が立っています。鵜飼勘作は、謡曲「鵜飼」のもとになった伝説に登場する主人公です。鵜飼勘助は、「鵜飼」の前シテ(鵜使いの霊)で現世の姿ともいえます。

この地では、毎年7~8月に「石和鵜飼」のイベントが開催されます。平安時代から続く、伝統的な「徒歩鵜(かちう)」の実演で、 徒歩鵜とは、鵜匠が川を船に乗らずに歩きながら鵜を操るものです。

橋の上から悠悠と流れる笛吹川を眺めていると、カワウが数羽、上空を川下に向かって飛んでいきました。

笛吹権三郎の像

「笛吹権三郎の伝説」の説明板

石和橋がかかる平等川

鵜飼橋、欄干にこのような鵜のモニュメントがたくさん飾られている

鵜飼橋より笛吹川下流を望む

鵜飼勘作翁の像






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