墓の入口にある紫式部墓所の碑のそばには、ムラサキシキブが植えられています。
墓所に入ると、向かって左手に紫式部墓が、右手に小野篁(おのの たかむら)の墓が建っています。
手入れがきちんとされていて、紫式部の気品が感じられる場所に思えました。
⇒ 所在地のMap
| 墓所入口 |
| 紫式部墓 |
| 紫式部墓 |
| 顕彰碑 |
| 小野篁墓 |
| 紫式部墓と小野篁墓 |
| 墓所入口 |
| 紫式部墓 |
| 紫式部墓 |
| 顕彰碑 |
| 小野篁墓 |
| 紫式部墓と小野篁墓 |
立砂は神山を象ったもので、神を迎える原型といわれ、頂きに松の葉が立ち、陰と陽の一対になっている。~由緒書より細殿と楼門の間の橋殿で、左手の御手洗川(みたらし)と右手の御物忌川(おものい)が合流して、ならの小川となって清らかな水が流れています。
秦氏の妻女の玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産んだ。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別.雷(わけいかづち)の神となる。この神を祀ったのが当社である。〜養殖史跡保存会駒札より
御神紋は「二葉葵」で、葵は古く「あふい」と読み、「ひ」とは神を表す。御祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの神託があったところから、上と人とを結ぶ草として当神社の神紋となっている。~由緒書より京都三大祭りの一つである葵祭は、毎年五月十五日に京都御所を出発した行列が下鴨神社を経由して上加茂神社に至るコースを5時間をかけてたどります。
| 一ノ鳥居 |
| 二ノ鳥居 |
| 謡曲史跡保存会の駒札 |
| 細殿と立砂 |
| 立砂の駒札 |
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| 本殿 |
| ならの小川と藤原家隆の歌碑 |
| ならの小川 |
| ならの小川 |
| 願い石(陰陽石) |
| 紫式部の歌碑 |
| 深泥ケ池 |
| 天然記念物指定の碑 |
妙満寺は康応元年(1389)に日什上人が六条坊門室町(現在の烏丸五条あたり)に妙塔山妙満寺として建立したのが始まりです。
妙満委はその後、天正十一年(1583)秀吉の時代に寺町二条に移され400年にわたり「寺町二条の妙満寺」と親しまれてきました。昭和43年(1968)に都市化のため、現在地に移転しました。~妙満寺由緒沿革より「道成寺の鐘」は 当然、和歌山県日高町の道成寺に当然あると以前は思っていました。京都のお寺にあることを知って驚いた記憶があります。
醍醐天皇の延長六年(928)ハ月、奥州白河の「安珍」という修験者が熊野に参拝する途中、紀州室の郡・真砂の庄司清次の館に一宿を求めました。そのとき、庄司の娘「清姫」が安珍に思い寄せて言い寄りました。安珍は「熊野参拝を済ませたら、もう一度立ち寄る」と約束しましたが、その約束を破り立ち寄らずに帰途に就いてしまいました。
そのことを知った清姫は激怒して安珍の後を追いかけます。日高川にかかると清姫は蛇身となり、ものすごい形相で川を渡り、ついに道成寺の釣鐘に隠れた安珍を見つけます。清姫は、鐘をきりきりと巻くと、炎を吐き、三時あまりで鐘を真赤に焼き、安珍が黒焦となって死ぬのを見て、自らも日高川に身を投じてしまいました。
この後、正平十四年(1359)三月十一日、源万寿丸の寄進で道成寺に二度目の鐘が完成した祝儀の席でのこと。一人の白拍子が現れ、舞いつつ金に近づきました。すると、白拍子は蛇身に身を変え、鐘を引きずり降ろすと、その中に姿を消しました。僧たちは「これぞ清姫の怨霊なり」と一心に祈念して、ようやく鐘は上がったのですが、せっかくの鐘も宿習の怨念のためか音が悪く、また近隣に悪病災厄などが相次いで起こったため山林に捨て去られました。
その後、二百年余りを経た天正年間、秀吉の根来攻め(1585)の大将・仙石権兵衛秀久がこの鐘を拾って陣鐘として使い、そのまま京都に持ち帰りました。そして、安珍・清姫の怨念解脱のため、経力第一の法華経を頼って妙満寺に鐘を納めました。そして、時の貫主の読経により怨念は解かれ、鳴音美しい霊鐘となった。~妙満寺展示室配布資料「「安珍清姫の鐘」について~その由来と詳細~」より「道成寺の鐘」は展示室に納められています。高さは約105cm、直径約63cm、暑さ5.3cm、重さ約250kg。思いのほか小ぶりという印象でした。
| 妙満寺本堂 |
| 本堂からの眺め |
謡曲「通小町」の後場では、市原野の薄の中から小町の亡霊が登場し、僧に受戒を請いますが、深草少将の怨霊が現れて、私を残して行くのかと恨み、小町の受戒を妨げます。
「煩悩の、犬となって、打たるると、離れじ」という、ひたむきな愛情をもてあそばれた男の執念のすさまじさと、それから逃れようとする女心の交錯を主題とした特異な作品です。恋に破れた少将は、死してなお現世の執着をすてず、業火をいとわず、自分の成仏はもちろん、女の成仏もさまたげようとします。~権藤芳一『能楽手帖』駸々堂出版よりこの「通小町」を思い浮かべ、人間の煩悩の果てしなさを感じながらお参りをしました。
| 小町寺 |
| 本堂 |
| 謡曲史跡保存会の駒札 |
| 小野皇太后供養塔 |
| 小野小町供養塔 |
| 小町姿見の井 |
| 穴目の薄碑 |
貴船神社は鴨川の水源地にあたり、水の供給を司る神様をお祀りしている。
創建年代不詳ながら、伝説によると神武天皇の皇母にあたる玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄船に乗って大阪湾から淀川、鴨川を遡り、現在の奥宮の地に至り、水神を祀ったのが創建と伝わる。
平安時代の女流歌人・和泉式部が参拝し、心変わりした夫との復縁祈願が成就したことから、縁結びの神としても篤い信仰を集めている。~気生根略記より最近では 縁結びの神として若い女性を中心に人気のスポットになっていて、訪れた秋の週末には本宮に長井参拝列ができて、狭い境内は大変交雑していました。
都に住む一人の女が、自分を捨て、新しく妻を迎えた夫の不実を恨んで、貴船の社に日参して、祈願をかけます。嫉妬の末に鬼女となる女の激しい執念と、また一面、男への捨てきれぬ思慕の心を主題にした能です。~権藤芳一『能楽手帖』駸々堂出版より女性参拝客でにぎわう参道を和泉式部や「鉄輪」の女の心情を想像しながら歩きました。
| 貴船川 |
| 蛍石 |
| 烏帽子岩 |
| 烏帽子岩 |
| 本宮鳥居 |
| 本宮本殿 |
| 貴船神社駒札 |
| 和泉式部歌碑 |
| 和泉式部歌碑説明板 |
| 天乃磐船 |
| 天乃磐船の駒札 |
| 結社説明板 |
| 思ひ川 |
| 思ひ川駒札 |
| 奥宮鳥居 |
| 奥宮 |
| 奥宮 |
| 奥宮本殿 |
| 説明を追加 |
| 謡曲史跡保存会の駒札 |
| 御船形石 |