向かって右側が樹齢500年の二世ですが、すでに枯死しているようで 3メートルくらいの高さで幹が伐られいました。
左側の少し奥に三世があり、綺麗な花を咲かせていました。
その手前に「青柳糸桜記念植樹の碑」(昭和44(1969)年4月)が建っています。
和名抄に青柳の名見ゆ。青柳氏住むに及び邑をなす。永享十年(五三一年前)室町時代六代将軍足利義教の世関東管領足利持氏に中郡荘磯部邑神主祐行花見物語献上持氏世阿弥元清に謡曲桜川を作らしむ。その中に「なほ青柳の糸桜」あり。磯部稲邑神社享保年中の縁起書桜川八景十二品中に青柳の糸桜あり。此地鹿島街道筋桜川の辺中郡の要塞たり。桜樹齢五○○年を超ゆるもの稀なり。糸桜(枝垂桜)は彼岸桜の変種なり。この碑によれば三世もすでに植樹されてから半世紀弱の時を経ていることになります。
二世の桜樹枯死するを痛み郷の人達胥謀りて明治維新百年を記念し三世の若木を磯部より移植する。子孫克く遺志を継ぎ愛護維持に努められんことを。
謡曲『桜川』で青柳糸桜が出てくる網の段(一部省略)を以下に記します。
あたら桜の。あたら桜のとがは散るぞ怨みなる。花も憂し風もつらし。散れば誘う.誘えば散る花鬘(かずら)。かけてのみ眺めしは。なほ青柳の糸桜。霞の間には。樺桜。雲と見しは。三吉野の。三吉野の。三吉野の。川淀滝つ波の。花を掬はばもし。国栖魚(くずいを)やかからまし。または桜魚(さくらいを)と。聞くも懐しや。いずれも白妙の。花も桜も。雪も波も見ながらに。掬ひ集め持ちたれども。これは木木の花.まことはわが尋ぬる。桜子ぞ恋しき。わが桜子ぞ.恋しき。訪れた時は雨上がりで、少し霞がかかっているようで大変趣きがありました。
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青柳糸桜の遠景 |
青柳糸桜 |
青柳糸桜 |
石碑 |
二世の青柳糸桜 |
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