仁和寺(にんなじ)は京福北野線の御室仁和寺駅から北へ200メートル程のところにあります。
「きぬかけの路」に面した重要文化財の二王門をくぐって直進すると中門があり、さらに階段を上ると国宝の金堂が現れます。
どっしりとした構えの金堂には仁和寺の本尊である阿弥陀三尊が安置され、慶長年間造営の御所内裏紫宸殿を寛永年間に移築したものだそうです。
金堂の右手前には、重要文化財の五重塔が立っています。
仁和寺の歴史は平安時代、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工されたのが始まりです。仁和四年(888)宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和寺を完成されました。宇多天皇は退位後、出家して仁和寺を住房とされ、真言密教の修行に励まれました。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれ親しまれてきました。
現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり、平成六年(1994)に国連の世界遺産に登録されました。~仁和寺パンフレットより
二王門を入ってすぐ右側の宸殿から眺める南庭や北庭は、素晴らしい景観です。
仁和寺は謡曲「経正」に登場します。
仁和寺の守覚法親王(しゅかくほっしんのう)は、琵琶の名手である平経正(清盛の弟・教盛の長男)を少年の頃から寵愛されていました。ところが、一ノ谷での源平の合戦で経正が討たれたので、生前、法親王にお預けになった“青山”(せいざん)という琵琶の名器を仏前に供えて回向すると、その夜更けに経正の亡霊が現れて、手向けされた青山をなつかしく弾き、夜遊の舞ををまって興じます。しかしそれもつかの間、やがて修羅道での苦しみにおそわれ、憤怒の思いに戦う自分の姿を恥じ、灯火を吹き消して闇の中に消え失せます。~権藤芳一『能楽手帖』駸々堂出版より
「平家物語」 巻第七“経正都落”では、琵琶の名手として北征の途上、竹生島に秘曲を奉納した平経正が、幼いころ仕えた仁和寺の法親王との都落ちにあったての別離の場面が描かれています。
また、同“青山之沙汰”では琵琶の名器「青山」の由来を説いています。
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二王門 |
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五重塔 |
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金堂 |
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御室桜 |
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御室桜解説板 |
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宸殿から眺めた南庭 |
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宸殿から眺めた北庭 |
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庭園の解説文 |
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宸殿から眺めた北庭 |
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中門から見た二王門 |
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二王門の解説板 |
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境内の見取り図
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仁和寺の駒札 |
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