桐生市の中心部から桐生川沿いに遡ると梅田湖があります。
さらに県道66号線を上っていくと、左手に古びた神社が見えてきます。
この神社が皆沢八幡宮(かいざわはちまんぐう)です。
社殿は彫刻が非常に見事で、鞘堂に収められています。
皆沢八幡宮は皆沢地区の要所に鎮座し、足利忠綱を祀っている。
本殿は隅木入りの春日造で、正面向拝には唐破風を設け、浜床を持つ。軸部に彩色はないが、組み物から上は朱塗りされている。三手先の尾垂木には彩色された龍頭の彫刻が施されている。軸部の素木に村し、組物の朱、尾垂木や木鼻、腰組下持送、手扶の彩色など、その対比が鮮やかである。
尾垂木の彫刻は虹梁絵様から18世紀後半の建立当初からのものと考えられる。身舎の壁面にはめこまれた彫刻は、縁が鋭い平面的な浮彫で、背面彫刻には「加(ママ)永四亥 三月廿九日出来上州勢多郡荻原村星野東渓(カ)行年八十才」の墨書がある。また、本殿床下内部の壁面には、建立時の原寸図と思われる組物と垂木を描いた墨書が確認された。
本殿内部には忠綱明神像と伝えられる天文十二年(1543)の墨書がある木彫の神像が安置されている。~桐生市HPより
謡曲「頼政」に忠綱の活躍ぶりが記されています。以仁王を頂いて平家打倒の戦いに挑んだ源頼政は平家側の忠綱に宇治川の橋を破られて、平等院で自害しました。
田原の又太郎忠綱と名乗って、宇治川の先陣われなりと、名のりもあえず三百余騎 (略) 忠綱 兵(つわもの)を下知して曰く 水の逆巻く所をば 岩ありと知るべし 弱き馬をば下手に立てて 強きに水を防がせよ 流れん武者には弓筈を取らせ 互に力を合わすべしと ただ一人の下知によって さばかりの大河なれども 一騎も流れずこなたの岸に 喚いて(おののいて)上がれば・・・
皆沢八幡宮の社殿は確かに立派なのですが、過疎や氏子の減少のせいでしょうか、かなり痛みが進んでいるように思われました。
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所在地のMap
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鳥居 |
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鞘堂の外観 |
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社殿 |
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社殿左側面の彫刻 |
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社殿の足元の彫刻 |
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解説板 |
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