2016年12月29日木曜日

土蜘蛛塚(1-000、京都府京都市上京区今小路御前西入上観音寺門前、東向観音寺)

東向観音寺は北野天満宮の一の鳥居を抜けて楼門の手前を左に向かっていくとあります。

参拝客で賑やかな北野天満宮とは対照的に、東向観音寺はひっそりとしています。
寺伝によると延暦二五年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。
応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。
本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。
江戸時代の後期頃より寺名は、朝日山観音寺となった。~東向観音寺HPより
本殿の左手奥に、土蜘蛛塚(つちぐもつか)があります。
蜘蛛灯篭(くもとうろう)が、もと七本松通一条にあって、源頼光(みなもとのよりみつ)を悩ました土蜘蛛が棲んでいるところといわれた。明治年間に、この塚を発掘したところ、石仏や墓標の破片したものが出土し何等参考になるものはなかった。その時の遺物が、ここにある「火袋」で、当時、ある人が貰いうけ庭に飾っていたところ家運が傾き“土蜘蛛の祟り”といわれたので、東向観音寺に奉納したという。~謡曲史跡保存会の駒札より
この「火袋」が納められているのが土蜘蛛塚です。

土蜘蛛は、謡曲「土蜘蛛」に後シテとして登場します。

病で臥せっていた源頼光に刀で斬りつけられて消え失せた土蜘蛛は、退治に向かった独武者(ひとりむしゃ)に糸を繰り出して悩ませますが、遂には斬り伏せられるというアクションドラマといってもよいような迫力ある演目です。

山門

本堂

土蜘蛛塚の遠景

土蜘蛛塚

謡曲史跡保存会の駒札




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