2019年3月23日土曜日

青葉の楓(2-040、神奈川県横浜市金沢区金沢町、称名寺)

謡曲「六浦」の「青葉の楓」がある称名寺は、京急金沢文庫駅から徒歩15分。赤門をくぐり参道を進むと仁王門の先に阿字ヶ池、その向こうには山稜を背にした金堂と釈迦堂が現れます。池の中央には反橋、平橋がかかっています。この称名寺庭園(境内)は、平安時代中期以降の浄土式庭園の系列にあるものだそうで、立派な庭園です。
称名寺は、金沢北条氏一門の菩提寺、この地に館を構えた北条実時の持仏堂から始まったと推定され、正嘉二年(1258)に伝法灌頂(でんぽうかんじょう)の儀式が行われました。実時は文永四年(1267)審海を開山として迎え、真言律宗に改めました。その後、二代顕時から三代貞顕に至って伽藍の再造営を行い、元享三年(1323)に称名寺の大伽藍が完成しました。(「称名寺境内」パンフレットから引用)
 「青葉の楓」は橋を渡って金堂に向かって左手前にあります。初代は老朽によって昭和四十年頃に倒れて、現在は二代目とのこと。幹は細く、葉っぱは青葉ではなく黄色い枯れ葉で少し拍子抜けしてしまいました。立派な樹になるには数百年の樹齢を重ねなければならないのかもしれません。
謡曲「六浦」は、梅、松、富士、柳等を人格化し、草木の精として扱った曲の一つです。
京の僧が称名寺を訪れて、山々の楓は紅葉の盛りなのに本堂前の楓が一葉も紅葉していないのを不審に思うと、楓の精が現れて、昔鎌倉の中納言為相(ためすけ)卿が、山々の紅葉はまだなのにこの楓だけが紅葉しているので「いかにしてこの一木に時雨(しぐれ)けん 山に先立つ庭の栬葉(もみじば)」と詠むと、楓は非常に光栄に思い「功なりなとげて身退くは天の道」の古句に倣い、その後は紅葉せず常緑樹(ときわぎ)になったこと、草木にはみな心がることを語り、僧に仏法を説くよう頼み、木の間の月に紛れて消え去ります。(謡曲史跡保存会の駒札より引用)
金堂の裏手の山稜の途中に北条実時の墓が立っていて、称名寺境内を見下ろしているようです。

赤門

称名寺境内の説明板

北条氏の家紋「三鱗」

仁王門

称名寺庭園の説明板

平橋と金堂

金堂

称名寺境内の説明板

釈迦堂

青葉の楓

謡曲史跡保存会の駒札

阿字ヶ池と反橋

阿字ヶ池

北条実時墓

北条実時墓

北条実時墓の説明板




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