能の大成者である世阿弥も、永享6年(1434)に佐渡に配流されました。
配流は、大夫職継承をめぐって将軍足利義教の怒りに触れたためだとか、南北朝の政争に巻き込まれたものとか、推測が行われているが、真相は不詳。
佐渡に在島中に著した小謡曲舞集『金島書』によって永享8年(1436)2月に健在だったことが知られ、嘉吉元年(1441)6月に義教暗殺に伴い許されたものと想像されるが、確証はない。また、帰洛したか、どこで亡くなったか、墓所も不明である。~『能楽大辞典』筑摩書房、新版『能・狂言事典』平凡社より佐渡に流されてから、正法寺などの寺院に移り住んだとされ、 正法寺には世阿弥が腰をかけたと言われる腰掛石があります。
正法寺の寺宝には、世阿弥が雨乞いに使用したとされる神事面(県有形文化財)があります。
正法寺の山門 |
正法寺本堂の額編 |
神事面の解説 |
世阿弥腰掛石 |