嵐山の渡月橋からの道を北進すると釈迦堂の山門に突き当たります。
広々とした境内の正面に、本尊三国伝来生身釈迦如来像(国宝)を安置した本堂(釈迦堂)があります。
本堂の前庭の左手に源融(とおる)の墓があります(別途、記述します)。
この清凉寺を舞台にした謡曲が『百万』(ひゃくまん)です。
大和の国(奈良県)吉野の男が西大寺付近で一人の幼子を拾い、その子を連れて嵯峨の釈迦堂の大念仏にやって来るところから話が始まります。
足に任せて行くほどに 都の西と聞こえつる 嵯峨野の寺に参りつつ 四方の気色(けしき)を眺むれば 花の浮き木のかめやま(亀山)や 雲の流るる大堰川 まことに憂き世のさが(性。嵯峨)なれや 盛り過ぎ行く山桜 嵐の風まつのを(待・松尾) をぐら(小倉・小暗)の里の夕霞~「百万」クセ・新潮日本古典集集成「謡曲集」より百万という女物狂が、奈良からはるばる旅をして、春の嵯峨にやって来て、大念仏に集っている大勢の人の中に、我が子はいないのだろうかと嘆きます。
吉野の男によって、ついに、百万が我が子に出会えるという結末です。
清凉寺本堂(釈迦堂) |
清凉寺の駒札 |