河越氏菩提寺である養寿院は、寛元元年(1243年)、秩父平氏の末裔である河越次郎経重(遠江守、河越太郎重頼の曾孫)が開基となった寺で、川越菓子屋横丁の西側に位置しています。
本堂の左手の奥には、「伝 河越太郎重頼の墓」があります。
河越氏は、板東八平氏の一つ秩父氏の出で、重頼の祖父重隆のころに川越に進出し、河越氏を名乗った。
河越氏は源頼朝が挙兵した当時、敵対していたが、重頼の妻が頼朝の乳母・比企禅尼の娘であったこともあり、後に頼朝方について平氏を追討、鎌倉幕府の樹立に力を尽くした。重頼の娘は、義経の正妻に選ばれて上洛するが、頼朝・義経が不和になると、重頼は誅殺させ、所領は没収された。~小江戸川越観光推進協議会駒札から
重頼の子重房は、父とともに義経に従って平家追討の軍に加わっています。 重房は謡曲『千手』クセに「名をこそ流せかわごえの、重房が手に渡り心の外の都入り」とあるように、一の谷で捕えた平重衡を都に護送している描写があります。
また、『平家物語』知章最後では、「修理大夫経盛の嫡子、皇后宮亮経正は、たすけ舟に乗らんと汀の方へ落ち給ひけるが、河越小太郎重房の手に取籠められうたれ給ひぬ」と一の谷で平経正を討った重房の名が登場します。
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養寿院本堂 |
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河越太郎重頼の墓 |
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河越太郎重頼の墓の駒札 |
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