京阪電車の出町柳駅から徒歩約10分、鴨川と高野川の合流地点にあります。
正式名は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)です。
下鴨神社を訪ねて印象に残るのは糺の森です。糺の森は下鴨神社本殿から南へ河合神社に至る境内で、およそ12ヘクタ-ル(東京ドームの約3倍)の面積がある原生林だそうです。
本殿へまっすぐ伸びる参道を挟んで左手に瀬見の小川、右手に泉川が流れています。昼間でも樹林で日差しが遮られ、静寂に包まれています。その参道をゆっくり歩いていると、旅の疲れも忘れるような清々しさを感じます。
「瀬見の小川」は、平安時代から鎌倉時代の賀茂御祖神社社頭の景観を描いた「鴨社古圖」によると、馬場(糺の森の参道の西側)の西側を流れています(現在の鴨川を指す)。
『風土記』山城国逸文には、賀茂建角身命が「瀬見の小川」と名付けたとの縁起が伝えられています。
『新古今和歌集』の鴨長明の歌「石川や せみの小河の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」で広く知られるようになりました。~賀茂御祖神社の解説板より
下鴨神社は、謡曲「加茂」のほか、「班女」の後場の舞台としても有名です。
美濃国野上宿の遊女に花子という者あり、或年の春、都から当国へ下向の途次ここに立寄った吉田少将と深く契り、爾来恋慕の餘りただ形見の扇のみ見入りて、他の客の前に出なかったので、宿の主たいへん腹立てて、花子をこの家から遂出した。
同じ年の秋、吉田少将はまた都に帰えらんとて、この宿に立寄り花子を尋ねたが、既にその行方も知られなかったので、已むなく都へ立帰り、やがて糺の社に詣でた。
恋慕のあまり心乱れた花子は、今日しも同じ糺の社に詣でて、恋しき人に再び逢はせ給へと祈っていたのを、少将の従者狂女と見て面白う狂へと言う。花子、のち班女が故事(漢成帝の寵姫班婕妤)を引き、われもまた夏果つる扇のその如く、恋しき人に捨てられたれば、せめてもの形見の扇手に触れて、風の便りを待つばかりであると、恋慕の情切なるを想う、少将怪しんでその扇を見れば、まさしく自分と取交はしたる形見の品であったので、奇しき再会を喜んで永き妹背の路に入りぬ。〜中村京三『謡曲と京都』班女より
|
正面鳥居 |
|
糺の森 |
|
糺の森 |
|
糺の森解説板 |
|
中門 |
|
由緒書 |
|
境内案内図 |
0 件のコメント:
コメントを投稿