寂光院は天台宗の尼寺で、推古二年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建されたそうです。
建礼門院徳子(平清盛の娘・高倉天皇の中宮で安徳天皇の母)は、文治元年(1185)九月に入寺。
源平の戦いに敗れ、壇ノ浦で滅亡した平家一門とわが子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ閑居御所とされた。~寂光院パンフレットより
壇ノ浦で平家が滅びて後、文治二年(1186)四月、後白河法皇が洛北寂光院に隠棲された建礼門院を訪ねられたことは、『平家物語』灌頂巻にくわしく、また謡曲「大原御幸」にも謡われている。当時、法王は鞍馬街道から静原を経て江文峠を越えて大原村に入り、寂光院を尋ねられている。~謡曲史跡保存会駒札より残念ながら平成十二年(2000)の放火で本堂が焼け、本尊の六万体地蔵尊も損傷しました。
後白河法皇が建礼門院と対面する場面のなかに登場する「中嶋の末のかかれる藤波の うら紫のさける色」と記された松が「千年の姫小松」ですが、この放火の影響で傷みが激しくなり、平成十六年には枯死しました。現在は伐採されて幹の部分のみが残されています。
本堂の西側の林のなかに建礼門院御庵室跡および使用したという清水があります。ひっそりとしていて、閑居らしい雰囲気が漂っています。
寂光院入口 |
山門 |
本堂 |
四方正面の池 |
汀の池 |
千年の姫小松 |
千年の姫小松由来 |
汀の池 |
御庵室跡 |
建礼門院使用の井戸遺構 |
御庵室跡の説明板 |
説明を追加 |
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