2017年8月28日月曜日

櫻川磯部稲村神社(5-059、茨城県桜川市磯部)

桜川磯部稲村神社は、景行天皇40年10月に、日本武尊が伊勢神宮荒祭宮磯宮をこの地に移して祀ったと伝えられています。

御祭神は天照皇大神、木花佐久耶姫命(このはなさくやひめ)などで、社殿は大きくはありませんが、まわりを桜の木々に囲まれ、古い歴史の重みを感じさせます。

参道や丘の斜面に多くの山桜が見られ、桜の名所として広く知られてきました。

謡曲『桜川』で人商人に身を売った桜子は、木花佐久耶姫命(曲中では木華開耶姫)の御氏子でした。シテ(桜子の母)は「古里の御神をば。木華開耶姫と申して。御神体は桜木にて御入り候。されば別れしわが子もその御氏子なれば、桜子と名づけ育てしかば。」と語ります。

ワキの僧は磯部寺の住職ですが、磯部寺という寺はありません。青木実氏は著書の『謡蹟めぐり』で「磯部稲村神社が磯部という名を冠しているので、明治の初め廃仏毀釈があったので、無理やり神社にされたのではないかと、自分勝手に想像もしてみる」と記しています。

参拝に訪れたのは4月上旬の雨上がりの一日、桜は五分咲き程度でした。

境内には要石があり、「磯部の要石(凸形)と常陸国一之宮鹿島神宮の要石(凹形)は対を成し、古来より連なり地震除け・災難除けの守り神とされている。鹿島の要石は鯰の頭、磯部の要石は尾、を押さえる」と説明がされていました。

また、紀貫之が詠んだ歌(後撰集)「常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ 間なく寄すらめ」の歌碑がありました。

桜川磯部稲村神社鳥居

本殿

解説板

謡曲史跡保存会の駒札

要石

要石の説明書き

紀貫之の歌碑

歌碑の説明板

神社裏手の桜

神社裏手の桜



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