2019年1月5日土曜日

逢坂山関址(4-000、滋賀県大津市大谷町)

京阪電鉄京津線 の大谷駅を 下車 して徒歩 5分、国道1号線沿いに「逢坂山関跡」の記念碑が立っています。

この地は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、京から東国への旅は必ず通った場所だったそうです。
 古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残っています。中でも「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸(せみまる)の歌は、百人一首にも採りあげられて広く親しまれています。また、大津八景「関寺(せきでら)の晩鐘(ばんしょう)」「逢坂(おうさか)の暮雪(ぼせつ)」では、厳しかった逢坂越での美しい景観がうかがえます。 実際に関所があったのは、記念碑から少し大津寄りで関寺の付近であったのではないかといわれています。(公社びわこビジターズビューロー「滋賀県観光情報」より引用)
国道をひっきりなしに車が行き交う交通の激しいところです。そのようななかで車の行き来が途絶えた一時に、歌が詠まれた時代の風景をイメージするもの一興ではないでしょうか。
「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・竹内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。平安時代に逢坂関がもうけられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。(逢坂の説明石柱より)
所在地のMap

逢坂関跡碑
「逢坂」の説明石注(逢坂山安養寺前)

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