2016年5月11日水曜日

磨墨の像(するすみのぞう、2-000、東京都大田区西馬込、萬福寺)

源氏の武将である梶原景時と息子の梶原源太景季はともに源平の合戦に出陣して多くの武勲を上げたため、頼朝は恩賞として頼朝の名馬の磨墨(するすみ)を景季に、生唼(いけづき「池月」とも書く)を佐々木高綱に与えました。

宇治川の戦いでのそれぞれに騎乗した景季と高綱の先陣争いは有名です。
歴史に名だたる宇治川の先陣争いに梶原源太景季が乗った名馬「磨墨」は、古来わが明宝気良の産と語り伝えられている。
今からおよそ八百年前、某家の牝馬が気良の北方烏帽子岳の麓、巣河の地において天馬の種を宿し生まれたのが磨墨である。その名のとおり色あくまで黒く精悍な容姿であった。磨墨は、毎朝自分で厩栓棒を外し巣河に向かって走り、蘭とも蛍草とも言われる霊草を食み、大滝の奥の乳白色の霊泉を飲み、形質ともに類のない駿馬になった。~岐阜県郡上市・明宝観光協会HPより
写真の「磨墨」像は南馬込の萬福寺山門脇にあります。

「磨墨」像

「磨墨」の解説板