2016年5月14日土曜日

湯島聖天心城院(2-091、東京都文京区湯島)

湯島天神男坂下に天台宗湯島聖天心城院があります。

ここに長井の庄にいた斎藤別当実盛の別邸があったということです。

ビルや民家に囲まれて当時の面影はありませんが、「斎藤実盛別邸址」として訪ねることができるのは幸せなことです。

なお、長井の庄(埼玉県熊谷市妻沼)のことは後日、記事にまとめようと思っています。
元禄7(1694)年、湯島天神別当職の天台宗喜見院第三世宥海大僧都が、道真公と因縁浅からざる聖天さまを湯島天神境内に奉安するために開基されたのが当山のはじめで、本尊の聖天さまは比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。江戸城を築城した太田道灌の時代には、現在の境内池が湯島天神の表門に当り、また道灌の皓月亭跡とも伝えられています。当時の喜見院は相当な境域がありましたが、明治の神仏分離令の影響で廃寺になりました。喜見院の隠居的役割をもった当山も廃寺の運命にありましたが、湯島天神との本末関係を断つのみで、その難を逃れました。単独の寺院として歩みだした当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を「心城院」に改めました。~「略縁起」より
境内の放生池について、江戸時代の文献『御府内備考』『江戸志』に宝珠弁財天 男坂下「江戸砂子にいう、此処の池は長井実盛(後に斎藤別当実盛になる)庭前の池と伝う。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり」と記され、かつての池は太鼓橋が架かるほどの規模でした。~「御由緒書」より
現在の放生池はミニチュア版といったところでしょうか。
江戸時代の文献『江戸砂子』・『御府内備考』・『紫の一本(ひともと)』・『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。~心城院HPより
柳の井は水が絶えず流れ出ていました。

本堂を望む

本堂

本堂

解説板
放生池
放生池の解説板
柳の井